FC2ブログ
2019-03-10 02:21 | カテゴリ:編集雑記
最近、小3の長男が度々手に取り、
時には爆笑しながら読んでいる漫画の単行本があります。
そのタイトルは『ちびまる子ちゃん』

vol1and14.jpg

男子が読むとは想像もしなかったので、これは盲点でした。
そして母ちゃんとしては親子二代で楽しめていることが嬉しくもありました。


『ちびまる子ちゃん』についてはもはや説明不要ですね。
漫画雑誌「りぼん」の連載で好評を博し、TVアニメの放送が始まったのは、
私が大学在学中のことでした。

卓袱台や炬燵を囲んでの家族団欒や、懐かしい流行や風俗。
昭和ノスタルジーが炸裂するこの漫画は私の琴線に触れるもので、
一人暮らしだった私の、日曜の夕方は
『ちびまる子ちゃん』→『サザエさん』視聴が定番になりました。

同じ頃、『ちびまる子ちゃん』の単行本を購入。
エッセイ風の漫画はTVアニメより更に面白く、
また巻末に同時収録されている読み切り漫画「ほのぼの劇場」、
これは『ちびまる子ちゃん』以前から随時描かれていたもので、
作者であるさくらももこさんの人となりが、より一層伝わり、
あっという間にさくらさんのファンになりました。

大学卒業後も単行本は購入し続けて、
最終的には雑誌での連載が終了した第14巻まで揃えました。

IMG_1109.jpg

その後は学生時代ほど熱狂することもなく、
さくらさんの漫画や後述するエッセイ等を読む機会は少なくなりました。
それでもここまで揃えたwという思いもありなかなか手放せず、
たまに取り出して読んだら、やっぱりその都度笑えて楽しめて、
「座右の書」としての存在は、今なお揺るぎないものです。

さくらさんは文才も素晴らしく、これまた私の大学在学中に、
初のエッセイ『もものかんづめ』がベストセラーになりました。
その後も漫画やエッセイにとどまらず、
詩集や絵本その他幅広く手掛け、まさに八面六臂の活躍をされました。

essays.jpg

一方で、さくらさんご本人は表舞台には殆ど姿を見せられないため、
ご自身が漫画やエッセイ、もしくはブログで書かれた内容を除き、
その私生活や動静は杳として知れない状態でした。

だからこそ昨年8月の、突然の訃報には耳を疑いました。
53歳という若さで、乳癌のためだったそうです。
数多くのファンの驚きや悲しみは勿論のこと、
何より齢を重ねても仕事を続けることを祈願されていた、
さくらさんの無念さは如何ばかりかと胸が痛みました。
同時に、大学時代に『ちびまる子ちゃん』はじめ数々の作品で、
大いに楽しませてもらえたことに心から感謝しています。


第14巻で購入が止まっていた『ちびまる子ちゃん』、
実は第17巻まであり、それを以て完結のようです。
長男もハマった現在、続きを購入して親子で堪能しつつ、、
さくらさんのご冥福を心からお祈りしたいと思います。
スポンサーサイト
2019-02-18 16:57 | カテゴリ:編集雑記
同窓会本部の副委員長および小倉支部評議員、
ならびに第64回総会・懇親会実行委員長を務められた
中川八重香さん(S44・中国)が急逝されて、まもなく2年。


私が初めて中川さんにお会いしたのは10年前。
岡山県支部の女性の会のお食事会でした。
私自身、女性の会に参加し始めたばかりの頃でしたが、
気さくで優しい中川さんとは、初対面ながら
あっという間に打ち解けることができて、
とても楽しいひとときになりました。

(その時の写真が残っていました。
前列向かって右から2番目が中川さん。
他の方々も顔出しになってしまいますが…ボヤけているし
何よりもう10年前。時効ということで…ご了承ください)

2009_05_2.jpg

その後は岡山県支部の総会・懇親会でほぼ毎年お会いするようになり、
少し遅めの七夕気分を味わっていました。

中川さんは同窓会活動に積極的でありながら、
決して押しつけがましくなく、親身に接してくださいました。
お若い頃は「婚家の嫁」として辛苦をなめられた時期もあったようで、
真に女性の立場から配慮を頂けたのは、
ご自身の体験に依るところも大きいかと思いました。

生前の中川さんは、週末になると家にいなくなる
と、ご家族に言われていたとのこと。
それだけ全国の支部を回られていたということで、
多忙ながらも楽しみつつ各支部と交流されていたと思います。

今思えば、何かのついでだったのかもしれませんが、
とにかく10年前の、あんなに小じんまりとしたお食事会でありながら、
わざわざお越しくださったことに感謝と恐縮の気持ちで一杯です。

3年前の岡山県支部総会・懇親会では、
私と同伴の長男にも温かい言葉をかけてくださいました。
結果的にこの年が中川さんにお会いした最後になりました。


次の年の岡山県支部総会・懇親会。
来賓名簿に中川さんのお名前はなく、
勿論ご本人も会場にはいらっしゃらない。
にも拘らず、また中川さんにお会いできるような錯覚を起こしました。

今も、そしてこの先も、
私の心の中で中川さんは生き続けているからに違いありません。

今後新たなお話やご助言を伺えないのは残念ですが、
中川さんのように同窓会員の立場を慮れるよう、
私も及ばずながらも支部活動を続けたいと思います。
そして将来は家族に
「週末には家にいなくなる」と言われる日々に
実は密かに憧れるこの頃です。

皆さん決して中川さんのことをお忘れになりませんよね?
お忘れにならないでくださいね!
その願いを込めて、最後にお越しくださった際の写真を置いておきます:

H28年度総会・懇親会 

改めて、中川さんのご冥福とご家族のご健康をお祈り申しあげます。

2019-01-31 00:16 | カテゴリ:編集雑記
昨年7月の西日本豪雨。
岡山県内では最大級だった倉敷市真備町以外にも
多くの地域が被災しました。
そのうちの一つが岡山市東区平島地区。
エリア内の砂川の堤防が決壊し、
周辺の住宅や店舗が浸水しました。

私には生活圏の一部ともいえる近隣エリア。
その様子をすぐにでもこのブログで伝えることも可能だったはずです。
けれども事の重大さ、被災後の惨状。
直後は目の前に立ち塞がるものを前に、
何もできなくなってしまったのが実情です。

豪雨から半年以上経ち、前回の記事で真備町の現状をお伝えした今、
平島地区のことも、昨年秋に雑感のような記事は書きましたが、
もう少し詳しく触れておきたいと思うに至りました。

-----------------------------------------------------

昨年7月7日(土)の朝。
長男が通う学童保育の清掃活動が警報発令で中止になり、
役員仲間から連絡とともに届いたのは、それこそ息をのむような写真でした。

IMG_0736.jpg

IMG_0737.jpg

IMG_0738.jpg


洪水に呑まれた、見慣れたはずの市街地。
想像もつかなかった事態にに戦慄し、
また警報が解除されない状況も手伝って、
過去になく不安な中を過ごしました。

豪雨から一夜明けまた一夜。
平島地区に漸く足を踏み入れたのは豪雨から数日後でした。

車を走らせながら見えてきた光景の数々。
道路脇にうず高く積まれた瓦礫、家電製品、ゴミ。
ドアやウインドウを開け放した、多くの浸水後の車。
浸水の跡が残る建物。
そして強い日差しのもと、必死に作業をする人々。

その当時の写真はありません。

あまりの光景に、当初は見届けるのが精一杯で、
撮影には思いも及びませんでした。
そしてその後も暫くは、根拠はうまく説明できないのですが、
自分ごときが被災地の様子を撮るのは不遜な行為のように思えて、
街の様子を記憶に刻みつけるだけにしました。

近隣ということで、知り合いに自宅や勤務先が被災された方もおられました。
自宅が被災した、私のパート先の女性は、
「もー色々ダメになっちゃったあー」
…明るく笑って言うなよそんなこと(´;ω;`)
善良でまっとうに生きている人々まで容赦なく襲う自然災害に
理不尽さをおぼえずにはいられませんでした。
と同時に、被災で恐怖や辛苦を嫌と言うほど味わったはずなのに、
笑顔を絶やさず前向きな彼女の姿に、私のほうが励まされました。
他の被災者も、私が知っている限りでは、
過酷な現実を受け入れた上で前進している印象でした。
この姿勢こそが、復興や再建の何よりの力になったかもしれません。

-----------------------------------------------------

そして現在。
まだ完全ではないにせよ、復興は随分と進みました。
多くの世帯では、浸水した自宅が修繕されました。
一時休業していたスーパーやコンビニでも、普通に買い物をしています。
色々ダメになったと話してくれたパート先の女性も、
引き続き元気にお仕事をしています。

甚大な浸水エリアだったところに、
昨年末から今年にかけて開店したドラッグストアやレストランチェーン店:

IMG_1060.jpg

IMG_1063 -

豪雨以前に出店が決まっていたもので
(その根拠となる記事はこちら
関係各位の胸の内は複雑だったかもしれません。
それでもおそらく、前を向いて、予定通り出店を断行したものと推察します。
経緯はともかく、平島の地で新規オープンしたこれらのお店、
是非繁盛してほしいものです。

今後も平島地区を見続け、
また機会があればこの場でお伝えできればと思います。
2019-01-14 10:50 | カテゴリ:編集雑記
西日本豪雨で被害が最大級だった倉敷市真備町。
実家から20分もあれば行ける距離ながら、
なかなか帰省できず半年。
非常に限られた時間ではありましたが、
今回漸く訪れることができました。

車で真備町に入ると、連休ということもあり、比較的多い交通量でした。
真備町の今の様子を目に焼き付けておこうとしている人達がいるのか、
気のせいか、車の流れが全体的に遅いように思えました。

車を走らせるにつれ見えてきた家並み
(註:ご覧の環境によっては写真が鮮明でないと思われます。
以降、お手数ですが写真上をクリックして、
拡大してご覧ください):

IMG_1049.jpg IMG_1050.jpg

IMG_1056.jpg IMG_1055.jpg

住む人のいない、灯りのともらない家。
夜にはその暗さや寂しさを体感することになるのかもしれません。

メディアで浸水の映像が度々映された、
まび紀念病院。
地域の中核を担う病院として、完全ではありませんが再び機能しています:

IMG_1038.jpg

こんな状況でも、クリスマスを思わせる意匠には弱い私(;´Д`)
夜にともるらしいイルミネーションは、
きっと希望の灯り:

IMG_1039.jpg

既に営業を再開しているお店。
正面の横断幕のメッセージが心強いです:

IMG_1046.jpg

コンビニも営業中。
但し24時間ではありません:

IMG_1048.jpg

残念ながら閉店になったお店も:

IMG_1041.jpg

プラモの聖地と呼ばれたこのお店も閉店:

IMG_1044.jpg

豪雨も閉店も知らないかのような
笑顔のネコの看板はそのまま。


今年再開予定のマルナカ真備店。
「ご期待ください」:

IMG_1045.jpg

はい是非とも期待しています!!(*´∀`)ノ


短時間ゆえ町全体を隈なくという訳にはいかず、
狭いエリアを見るにとどまりましたが、
商業施設その他から、
復興が着々と進んでいる様子は伝わりました。
一方で、行き交う人々の少なさに、
今もこの町に戻れない人々が多いであろうことを感じました。

次に真備町を訪れる時には、
帰宅を願う人々誰もが、この地で日常を過ごせていたら…と思います。

そして把握できてはいませんが、
北九大OBやOGにも先般の西日本豪雨で被災された方々がいるかもしれません。
復興は勿論のこと、今の日々を元気で過ごせていらっしゃるよう願っています。
2019-01-01 18:29 | カテゴリ:編集雑記
2019年、新しい年が始まりました。

IMG_1027_2.jpg


自宅ベランダより撮影。
鉄道沿線ゆえ映りこんでいる物についてはご容赦ください。
撮影スキルへの言及も、これまたご容赦ください
(「腕に難あり」なのは一応自覚していますので…(;´Д`))。


高校時代の友人から届いた年賀状。
このイノシシはけっこう可愛い(*´∀`)

IMG_1037.jpg


毎年のように会いたいとは一筆添えても、
なかなか実現しなくなり久しいですね。


昨年は多くの自然災害に見舞われた一年でしたが、
今年は誰もが元気で心穏やかに日々を過ごせるよう
願わずにいられません。

そして今年は新元号に移行する、変革の年でもあります。
岡山県支部も、良い伝統は継承しつつ、
変えていくべき点は変えられるよう実践できたらと思います。

亥年に相応しく? (息切れしない程度に)目標に向けて
時には突っ走りたいですε≡≡ヘ( ´Д`)ノ

皆さんからもご指導、ご意見を頂けたらありがたいです。
改めて今年もよろしくお願いいたします。